お知らせ
重忠と比企氏は同郷でした。
後に比企の乱で比企一族を根絶やしにするよう北条氏から命を受け実行することになる重忠。
同郷でありながら討たねばならなかった重忠の心中を想わずにはいられない、血も涙もある人間的な武士重忠の逸話が残されているので紹介します。
今回は重忠の数あるエピソードの中から、抜群の力自慢だったというエピソードをご紹介します。
重忠の出生地といわれる深谷市(武蔵国男衾郡畠山)の畠山館跡にある、畠山重忠公史跡公園には馬を担いだ重忠の銅像があります。
これは、義経に従って出陣した重忠が愛馬の三日月を鎧の上から背負って、一ノ谷の北の鴨越をしたときの勇姿と言われています。(ただし、実際は重忠は義経ではなく、範頼の郡に所属していましたので史実ではないようです)
怪力エピソードは他にも。
宇治川の戦の先陣争いで、大串次郎重親をわしづかみにして対岸に投げ上げて助けてあげた、という話。馬を担ぐほどの怪力と言われていたくらいですから人を投げ上げるのも不思議はありませんが、それにしても相当なものです。
また、三条河原で木曽義仲と一騎打ちした時に義仲を助けに入った巴御前の鎧の袖をつかんだところ、遂に袖が断ち切れたという話や、関八州※から選抜された力士の長居との勝負では尻餅をつかせて気絶させてしまったというお話も。
※ちなみに関八州とは、箱根から東の八カ国(室町以降の呼び名)。相模、武蔵、上野、下野、安房、上総、下総、常陸のことを指します。
怪力エピソードに続いて、次回は重忠の人柄に関するエピソードをご紹介します。
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今回も比企総合研究センター代表である、当社管理物件オーナーでもある髙島敏明様にお話しを伺いました。
比企総合研究センター https://www.hikisouken.jp/ 参考文献:甦る比企一族 比企総合研究センター刊
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